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ぼくら大切なことに使える時間はもう、あまりないから

1日のスケジュールをぎっしり埋めてしまうと、一つひとつの出来事が分節化(「区切り」を挟んだ出来事として認識すること)されず、体験がすべてひとまとめのものとして認識されてしまう。 その結果、具体的なエピソードが記憶に残らなくなり、「いろいろなことがあったけれど、思い出せるのは2つくらいだった」「忙しく過ごしたけれど、思い出せることのない、虚しく過ぎた時間だった」という振り返りになってしまう。

短期記憶が長期記憶に移るときには、反すうを通して、意味や関連性が加えられたり、記憶どうしがつながってネットワーク化され、意味づけが深まっていく。 このはたらきは「精織化」と呼ばれます。精緻化は睡眠中に進行しやすいとされているので、反すうは寝る前にすることが記憶を強めるのに有効だとする研究もある。

なぜやらなくてもいいことをしてしまうのか? それなりに達成できてしまうから。大して重要じゃなくても、目の前の達成可能なタスクをやって達成感を得ることができるから。

やることを「直近に」決めると間違えてしまう。 直近に迫ったものに対して、人はその優先度や重要性を判別する余地がもてないため、重要度が低いにもかかわらず、多大な時間を費やすことになってしまったりする。 些末なことが大事に思えてしまう、いわば「時間の遠近法」。

退屈は悪いものではなく、変化の必要性を知らせてくれる貴重なサイン。 生活のどこかに違和感を抱いたら、それは新しい行動を選び取るタイミングの到来。 今取り組んでいることの意味や、やるべきことの優先順位を見直す手がかりとして、「退屈」という感覚にもっと注意を向けてみる。

デジタルは、「体験の厚み」をフラットにするのです。

「効率的な生活」では充実感は生まれない。 同じことを何度も繰り返していると、脳における認知的な処理は次第に省力化されていく。 脳への負荷が少なくなると、感情的な高まりや記憶への定着は起こりにくくなる。つまり、効率は上がっても、心の充実には結びつきにくい。

過去の体験と比較して「特別さ」を整理する。 そして、その体験を他のものと比べたうえで意味づけをする。 印象が強く残っているうちに体験を振り返り、「何がどう特別だったのか」「何が他と違ったのか」といった視点で、自分なりにまとめておく=意味づけするとよい。 たとえば、「この間の周年パーティーは、人生で3番目くらいの印象的な出来事だった」といったように他との関連を考えることで、意味のネットワークは強められていく。 ここを曖味にしておくと、せっかくの体験も「楽しかった気はするのだけれど、結局何をしたんだったっけ」と、記憶がぼやけていく。